帽子屋のソフィーは兵隊にからまれていた所をハウルによって助けられる。しかし、ハウルも荒野の魔女に追われていたため2人で逃げ出す。2人が別れた後に、その夜ソフィーは荒野の魔女の呪いで老婆の姿に変えられてしまった。帽子屋にいられなくなったソフィーは街を離れることになる。
ソフィは荒野の魔女の呪いにより老婆に変えられるのだが受け入れ方が早い。普通は気が狂いそうになる所、案外すんなりと受け入れてしまう。
この、おばあちゃんソフィ(右)の行動や発言は、この姿だからこそ雰囲気に合って良い。ハウルの城を掃除係として働いているシーンも若い姿でやってしまうと雰囲気が出ないが、この姿だからこそ味が出る。
そして、火の悪魔であるカルシファーが思いのほか活躍する点が良い。
悪魔と言いながら、能力はある(ハウルの城を動かす原動力)のだが言動は小さな子どもの様に可愛らしい。関係ない場面で、火としての役割を果たしていたりして画面を華やかにしてくれる。正直、主人公のハウルより活躍しているような気がする。そのため大好きなキャラクターの1人である。
そして、もう1人好きなキャラクターがかかしのカブである。
物語序盤から登場しており、ある意味で活躍しながら跳ねながら追いかけている点が可愛らしい。物語後半でも活躍する場面もあるが、最後のシーンはいらないかなぁ?声も大泉洋だと軽く感じ過ぎる。正直、そこかぁと思ってしまった。もちろん、声に関してはソフィ役の倍賞千恵子はジブリらしい声で上手かった。一方で、ハウル役の木村拓哉は違和感がないと思えるシーンもあるが、時々違和感を感じる時もあった。そのためか、ハウルの存在感が全体を通して薄く感じてソフィとカルシファーが大活躍している様に感じた。
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映画を観ていれば、老婆に変えられたソフィが若くなったり老婆になったりと、見た目を行ったり来たりしているシーンが現れる。映画を観ながら、なぜそうなったかがわからず調べたがあまり納得はできなかった。
エンディングで呪いの魔法が解けるならわかるが、その途中で年齢が変わってしまうのはなぜなんだろう。色々な意見には内面を表現しており、ハウルに恋している状態や強気の状態の場合は若くなり、逆に弱気の場合は老婆になるという意見が多い。荒野の魔女の魔力がなくなったので、内面的な問題としてソフィを表しているとしているのだが、なぜ髪の毛の色は元に戻らないかが疑問である。もちろん、正解がないからネット上では推測のページが多かった。
物語に空白を敢えてつくり読者の想像力を膨らませる手法があるのがわかるが、見た目が大きく変わるのは正直解りづらかった。ハウルを含めて誰も突っ込んでいない所を考えるとソフィだけ内面だけを表したのだろうか?ジブリ作品はもっと単純で良いと思える。安心できるストーリーと綺麗な画力(表現方法)が最大の魅力なはず。
結果、何だかんだ面白い作品であるのは確かである。根強いファンも多くいるのも理解できる。
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