いじめ問題の対応で学校側が批判されるだけでなく、損害賠償を請求されることもある。しかし、いじめ問題に過剰に学校側に解決を求めすぎているのではないか?いじめ問題は学校を訴えても解決にならないことも多いのではないか?それについて考えてみましょう。
いじめ問題の大前提は、いじめをした人間が一番悪い点である。そのため、加害者や保護者が謝罪を公で謝罪をしない一方で、学校側が謝罪をして損害賠償も支払うことが多い。そうすると、いじめ問題は、加害者と学校が悪いという構図になってしまいます。でも、そうではなくて、いじめは加害者が悪いだけです。
では、学校側はいじめに対して子どもからのサインに気が付くことができるのでしょうか?現実問題として、気づいて対処できる場合と気づかない場合に分かれます。そのため、全てのサインに気づくことは困難です。なぜなら、クラス担任であれば40人程度を抱えながら毎日100人以上の生徒と接するだけでなく、いじめ自体が見えない場所で行われているからです。その点は、保護者も同じで子どものサインに気づけないことは多いでしょう。そのため、学校側や保護者が気づかない可能性もあれば、子ども自身が公にしたくないため隠す場合もあります。そのため、学校側はいじめ問題に毅然とした態度を示す必要があります。それは、自分たちでトラブルを解決するのではなく外部機関(警察など)に通報することではないでしょうか。言い方は悪いですが、もし校内で生徒が人を刺したら直ぐに警察に通報するはずです。それは、重大な法律違反だけでなく、自分たちで処理ができないためです。同じように、いじめ問題に関しても最悪なケースに発展する以上は殺人と一緒かもしれません。確かに、暴行、誹謗中傷、窃盗、器物破損など犯罪行為として扱える内容が多い以上は、躊躇わずに外部機関に通報が必要すればよい。そうすることで、学校側の強い意志が伝わります。
「いじめアンケート」などで実態の調査や聞き取りは行っていますが、効果は低いかもしれません(牽制程度か)。また、友人関係のトラブルによる仲直りさえ学校側に要求されいる場合があります。特に、携帯電話によるトラブルは増加傾向ですが、携帯電話を買い与えている保護者が使い方やマナーをしっかり教えるべきでしょうが、実際には学校で取り組んでいるのが現状です。
そのため、教師にとっては「どこまでがいじめなのか?」と考えることが難しいです。曖昧なラインも報告していると、報告数が膨大になってしまったり、余計に人間関係が崩れる場合も多い。そのため、何が重要な問題点で、どこまで報告するのかのルールづくりは必要です。間違ったらいけないのは、このルールはいじめ防止ガイドラインで既にありますが、完全に機能しているとは言えないかもしれません。ただ、本当にどこまで学校側が介入するかが問題であります。
いじめ問題は子どもだけの問題でない点も気になります。もちろん、大人の方が人間関係を調整できる場合やストレス耐性、1つの集団に固執する必要はないなど要因は多くあります。しかし、誹謗中傷はパワハラと呼ばれる言葉に代表されるように、大人でさえ日常の中にあります。流石に、窃盗や暴行はないでしょうが、子どもだけの問題と片付けられない事情があります。
集団で生活する以上は、派閥が発生して当然ですし、好きな相手もいれば嫌いな相手もいるのは当然です。しかし、どの様な相手でも不当な扱いをすれば問題になります。子どもたちの世界でも同じだと思うので、不当な扱いをした人物にはしっかりと対応すべきでしょう。
いじめ問題が発生すると行動が遅い学校があるのも事実です。事なかれ主義とは言い切れませんが、被害者側ももちろんですが、加害者側も言い分を述べて平行線になる場合があります。また、たとえ加害者側のことでもプライバシーにかかわるものがわかると、子どもだけに人権問題に発展する可能性もあります。もちろん、問題にしたくない心理があるでしょうが、問題が発生している以上は情報を隠す意味は事なかれ主義というより何か別の問題かもしれません。
ただ、最近は生徒に迎合する先生も増えており、昔の厳しい先生は数が減っています。そのため、先生と生徒が友達になってしまっている時は注意が必要です。なぜなら、日常的に指導が入らなくなっている可能性があるからです。その意味では、授業が崩壊しているクラスの方が問題が発生したときに対応できるのでしょうか?