• 大学受験・高校受験の志望校合格へのポイント

日本史「江戸幕府の初期外交②」(小テスト)【大学受験・定期試験対策】

日本史対策

はじめに

大学受験に必要な知識を学習するために作成したページです。そのため、問いの背景をしっかりと理解していくことで日本史を得意になってもらうための内容です。日本史が苦手な受験生でも、受験用に確認したい受験生も参考にしていただければと思います。あくまで、論述対策というより知識を増やすための内容になっています。

教科別学習のページ

(1)1600年の( )の乗組員であったウィリアム=アダムズは徳川家康の外交顧問となり三浦按針という名を授かった。


(2)明は海禁政策により直接貿易を行えなかったので、東南アジアの諸都市で貿易をする( )が盛んになった。そのため、各地に日本町が形成されることになった

(3)スペインはアカプリコ貿易によりメキシコとマニラ間で交易が盛んであったために徳川家康は( )を派遣してメキシコとの通商を計画した


(4)次の出来事を時代順に並べなさい
①スペイン船の来航禁止  ②幕領に禁教令
③鎖国令Ⅲ        ④糸割制度の確立

(5)次の出来事を時代順に並び変えなさい
①日本人の海外渡航の全面禁止  ②奉書船以外の渡航禁止
③スペイン船の来航禁止 
④ヨーロッパ船の来航を平戸・長崎に限定

(6)奉書船は( )と( )を持った船のことで、それ以外の船が貿易することが制限されたのが鎖国令Ⅰの時である

(7)1637年の( )では天草四郎時貞らが優勢であったために、知恵伊豆と呼ばれた老中の( )を幕府は派遣をした。また、オランダ船による砲撃もあり鎮圧に成功した

(8)( )年の鎖国令Ⅴにより( )船の来航を禁止したことで鎖国が完成をした。ちなみに、鎖国は志筑忠雄が後に使用した言葉が定着したためであり、実際には5つの窓口があった。

(9)1641年に江戸幕府はオランダとの交易を長崎から( )に移動させた。そして、商館長から( )が提出され海外の情勢を知ることができた

(10)江戸幕府は中国との貿易で、長崎に( )を設置して行っていた

(11)江戸幕府の初期の貿易では、輸入品は( )、絹織物、毛織物が多く、輸出品は( )や海産物であった

(12)1609年に薩摩藩の( )は琉球に遠征により征服をした。ただし、琉球は明にも朝貢を続けることになった。

(13)琉球から幕府へ、日本の将軍の代替わりごとに( )が派遣され、琉球国王の代替わりごとには( )が派遣されていた

(14)松前藩はアイヌとの交易を商場知行制(知行主(藩主、家臣)が商場を自己経営)から( )(知行主が商人に商場の経営権を委ね運上金を納めさせる)へ変更した

(15)1669年に松前藩に対して( )が大規模な反乱を起こすが鎮圧されてしまう。

(1)リーフデ号

(2)出会貿易

(3)田中勝介

(4)4→2→1→3

(5)4→3→2→1

(6)朱印状、老中奉書

(7)島原の乱、松平信綱

(8)1639、ポルトガル

(9)出島、オランダ風説書

(10)唐人屋敷

(11)生糸、銀

(12)島津家久

(13)慶賀使、謝恩使

(14)場所請負制

(15)シャクシャイン

ムームーサーバー

コメントを残す