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日本史「江戸幕府の組織」(小テスト)【大学受験・定期試験対策】

日本史対策

はじめに

大学受験に必要な知識を学習するために作成したページです。そのため、問いの背景をしっかりと理解していくことで日本史を得意になってもらうための内容です。日本史が苦手な受験生でも、受験用に確認したい受験生も参考にしていただければと思います。あくまで、論述対策というより知識を増やすための内容になっています。

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(1)1600年の( )で西軍の石田三成を破った徳川家康は勢力を伸ばして、1603年に江戸幕府を開いた。その後、将軍職を( )に譲り駿府で大御所として権力を握り続けた

(2)方広寺鐘銘事件を口実に徳川家康は1615年に( )をで滅ぼし、幕府の地位を固めた

(3)江戸幕府の直轄領は( )と呼ばれており約400万石と旗本知行国の300万石を合わせると全国の4分の1程度を支配していた

(4)江戸幕府は将軍に謁見ができる( )と謁見が出来ない( )が存在していた。

(5)大名は1万石以上の土地を保有する武士であり、大きく親藩、( )、外様の三種類に分かれていた。特に親藩の中で将軍を選べる家を御三家といい、紀伊、( )、水戸の三藩であった

(6)江戸幕府の組織は政務を統括する老中を中心に、それを補佐する( )、大名の監視を行う( )などがあり、非常時には大老が設置され臨時の最高職となった。

(7)江戸幕府の組織には三奉行が存在しており、最も格式が高い( )、財政関連の( )、江戸の行政や司法を担当する町奉行である。この三奉行と老中により重要事項を決める評定所が開かれる

(8)江戸幕府の組織には、朝廷の監視や西国大名を監視する( )以外に、城代が大坂・駿府・二条城に置かれ、京都・大坂・駿府・長崎・堺・山田・佐渡・日光などには( )が置かれた。

(9)江戸幕府による大名の処分として、領地の没収である( )、領地を削減される減封、領地を変更される( )があった。

(10)1615年に豊臣氏を滅ぼした幕府は、大名の居城以外の城を破棄させる( )により大名の統制をはかった

(11)1615年の武家諸法度( )令は徳川秀忠の名で出され、城郭の無断修理や婚姻の許可制などを規定していた。これに違反した安芸の( )は領地を没収されている。また、これを起草したのは金地院崇伝である。

(12)1635年の武家諸法度寛永令は3代の( )によって出され、領地と江戸を1年交代で交代することや大名の妻子を江戸に住まわせておく参勤交代を制度化した。また、これを起草したのは( )である。

(13)江戸時代の皇室領を( )と呼ばれ約3万石程度であった。また、江戸幕府は朝廷を監視しており( )を通じて朝幕の間を連絡をとっていた

(14)1615年に江戸幕府は金地院崇伝が起草した禁中並公家諸法度を制定して朝廷を規制した。そのため1627年に( )の勅許に対して江戸幕府が干渉をして大徳寺の沢庵が流罪となった( )がおこり、天皇は明正天皇に譲位することになった

(15)江戸時代には( )があり、民衆はどこかの寺院に必ず所属しており、これが檀家を形成することになる。また、寺院が身分証明書の寺請証文を発行することで現代の役所のような役割を果たした

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