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日本史「江戸幕府の農民と初期外交①」(小テスト)【大学受験・定期試験対策】

日本史対策

はじめに

大学受験に必要な知識を学習するために作成したページです。そのため、問いの背景をしっかりと理解していくことで日本史を得意になってもらうための内容です。日本史が苦手な受験生でも、受験用に確認したい受験生も参考にしていただければと思います。あくまで、論述対策というより知識を増やすための内容になっています。

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(1)江戸時代の農村では名主・( )・( )が村方三役を中心に検地帳に登録されている本百姓と検地帳に登録されていない水呑百姓らで構成されていた。

(2) 江戸時代の農民は田畑や家屋に課された( )があり、当初は( )検見法により税率が決められたが、安定的な税収と不正を防ぐためににかわった

(3)江戸時代の農民の負担には山や川などの収益に課せられる( )、村高に応じて付加税として高掛物、治水工事などに課せられる国役、街道沿いの村に人馬の賦役である( )があった

(4)1643年に本百姓の没落を防ぐ目的で( )の禁止令がつくられたが、実際には質地騒動があったように土地の所有者が変わることはあった。また、この禁止令は明治の1872年に廃止となっている

(5)江戸幕府は本田畑に五穀以外の栽培を禁止する( )の禁止令を出している。この禁止令は1871年に廃止となった。

(6)1649年に徳川家光は百姓の日常生活の細部まで規定した慶安の触書や徳川家綱の時代に零細農民の増加を防ぐ( )が出された

(7)1600年オランダ船の( )が豊後に漂着したことから、イギリス人のとヤン=ヨーステンが徳川家康の外交顧問となった

(8)1604年に糸割符制度ができたが、これはポルトガル船の中国産生糸を糸割符仲間に一括購入させて貿易の利益を得る狙いがあったが、糸割符仲間は京都、( )、( )に後に江戸と大坂が加わった

(9) 海外に渡航する船に朱印状を与えたことから朱印船貿易と呼ばれ、長崎の末次平蔵、大坂の末吉孫左衛門、京都の角倉了次や茶屋四郎次郎が有名である。また、東南アジアには日本町が形成され、( )のようにアユタヤ朝に重用された人物もいる

(10)1609年に対馬の宗氏は朝鮮との貿易の取り決めである( )を結び釜山に倭館おいた。その後、日本の将軍が代替わりする度に( )が派遣されることになった

(11)メキシコとの通商を求めた、徳川家康は京都の商人であった( )を派遣したが実現しなかった。また、伊達政宗は( )を派遣して教皇に謁見できたため慶長遣欧使節と呼ばれているが鎖国により失敗に終わった

(12)1612年に江戸幕府は幕府領に禁教令を出し、翌年には全国へ発布した。そのため、( )はマニラへ追放され、元和の大殉教などの弾圧が行われた

(13)1616年に江戸幕府はヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に限定した。また、1623年にはイギリスが自ら日本を退去した。そして、徳川家光の時代になった( )年にスペイン船の来航を禁止した

(14) ( )年の鎖国令Ⅰでは奉書船以外の海外渡航を禁止して、( )年の鎖国令Ⅲでは日本人の海外渡航の全面禁止を行った

(15)( )年に農民やキリスト教徒を率いた( )が大規模な反乱である島原の乱を起こした。

(1)組頭、百姓代

(2)本途物成、定免法

(3) 小物成、伝馬役(助郷役)

(4) 田畑永代売買

(5)田畑勝手作り

(6) 分地制限令

(7)リーフデ号、ウィリアム=アダムズ

(8)堺、長崎

(9)山田長政

(10)己酉約条、朝鮮通信使

(11)田中勝介、支倉常長

(12)高山右近

(13)1624

(14)1633、1635

(15)1637、天草四郎時貞

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