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教員希望者が減る要因を考える①「問題の対応が評価される」

教員を考える

教員の希望者が減少を続けている。それは、長時間労働や残業代が定額になっているなどの問題点が上げられる。それらは明らかな原因なので、それ以外に教員希望者が減ってしまう要因を考えてみたい。

教員をしていれば先輩教員から色々な経験を聞かされることがあります。しかし、違和感を感じて仕方がないことがあります。それは、問題を起こす生徒の担任ができて一人前という考え方である。その問題の内容は、校則違反(法律違反)、授業妨害、SNSの問題、過度の遅刻や欠席など多様な種類はあります。そのため、その様な生徒にどの様に向き合って進級や卒業させていくことができれば立派な先生という印象が与えられます。しかし、このことに違和感を感じないでしょうか?

例えば、問題を起こす生徒に対して担任が取り組まないといけないのは、「自クラスの授業巡回の強化」「生徒との面談(指導)」「保護者との連絡」「学年主任や管理職への報告」「解決策を考える」など多岐に渡ります。そのため、たった1回の問題が発生しただけで、その日1日が潰れるだけではなく数日時間がかかる場合があります。そして、1回注意をして解決するなら問題を起こす生徒ではなく通常の生徒でしょう。それが何回にも続くことがあります。ただ、多くの幻想は、そういった生徒に向き合っていくのが教師の役割だと考えられている点です。実際に、在学中に何回も生徒指導案件にかかりながら、停学などもありながら無事に卒業させることができた時に、その担任の努力は評価されます。そして、卒業していく生徒も満面の笑みで卒業していきます。ただ、ここに違和感を感じます。それは、問題を起こす生徒と同じ熱量で問題を起こしていない生徒にも対応していたかという点です。

本当は、問題を起こさずに手のかからない生徒を優先的に対応していくべきではないでしょか?むしろ、その様な生徒は授業中に騒がしくされても我慢して授業を受けているかもしれません。あるいは、進路相談など担任と話したいことはあったかもしれません。しかし、生徒が問題を起こすたびに放課後は対応に追われるために放課後の補習などが延期せざる負えないことが度々あります。その度に申し訳なさがあります。そして、多くの人が気づいていますが、膨大なエネルギーを注いでも徒労に終わることが多い点です。それは、学園ドラマの様に最後はハッピーエンドには終わりません。当然、バットエンドも多く用意されています。

これを一般社会に置き換えると、注文の多い顧客に時間を割いているが、注文の少ない顧客は放置している状態です。もし、前者の顧客が上客なら仕方ない面もありますが、そうでないなら会社はどちらの顧客を大事にするでしょうか?当然、後者になるでしょう。しかし、学校では前者を大事にする方が評価されることがある。その価値観を一度替える必要があるのではないでしょうか?

そもそも、問題を起こす生徒の対応を担任が背負い過ぎている点が問題ではないでしょうか。もちろん、問題を起こす生徒であっても問題行動をなくしていく必要があります。ただ、それは担任だけでなく学年、学校全体で対応すべき問題になります。縦割りの悪影響で、他クラスのことに積極的に関わらないケースがあるように感じます。また、学年が違えば噂レベルでしか伝わらない場合もあります。そのため、新人だけでなくベテランも問題を抱えて孤立していることがあります。「担任がっしかりしないと」という言葉が追い詰めることになります。もちろん、担任が何もしない時もありますが…。

一方で、手のかからない生徒もしっかりと面倒を見るべきでしょう。やはり、この様な生徒をどれだけ伸ばせたかが本当は評価すべきことではないでしょうか。ただ、伸びたかどうかの評価は難しいため、客観的に評価されないことが多くあります。よく言われる「不良が普通の社会人になれば評価されるのに、真面目な子が普通の社会人になっても評価されない」のと同じ現象ではないでしょうか。ただ、まともな感性であれば、真面目に取り組んでいる生徒をしっかり対応したいと考えるんではないでしょうか?この感性が学校社会ではあまりないような時があります。

結果、教員が問題行動や雑務の対応がメインとなり、生徒を伸ばしているという実感は薄い気がします。結果、教員から遣りがいを奪っているような気がします。

以前は、担任の力量でクラスを変えていく面白さはあったのですが、そもそも何を優先すべきかをもう1度考える必要があります。授業中に騒いでいる生徒を指導するだけで終わるのではなく、迷惑を感じている真面目な生徒のこともしっかりと考えるべきです。

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