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推薦入試の増加と大学の質

大学の学力が崩壊する?

はじめに

国公立大学であっても推薦枠が増加している中で、私立大学は難関大学でも推薦枠が増えすぎている。この推薦枠の増加は大学の質が低下する可能性がある。では、どの様な問題があるかを考えていきたい。

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何人かは指定校推薦入試も日頃から内申点を上げる努力が必要であり、定期試験だけでなく日常の努力が大事だから簡単ではないと言います。何人かは総合選抜入試も自己PRにつながら材料をつくる必要があり、それを早い段階からそれを意識して行動する必要もあるから大変だと言います。何人かは難関私大の内部生は入学するまでが大変で入学後も費用の負担がかかると言います。

しかし、難関大学に進学することを考えれば一般入試より推薦入試の方が楽なのは間違いありません。時間的な負担、精神的な負担、金銭的な負担でさえ大きい言えます。それは受験を知っている人間なら誰もがそう思うのではないでしょうか?それらな、なぜ推薦枠で目指さなかったのかという意見が出ます。それに対して次のように言うことができます。

① 指定校推薦入試の場合は希望の進学先の枠がない場合や、校内選考によって自分より評価が高い人間が希望すれば枠がなくなる点です。そのため、自分の努力だけではどうしようもない可能背がある。

② 付属中学や高校に進学しない理由は選択肢が狭まる点もあるでしょうが親の経済力も大きな点にあります。

③ 総合選抜入試は夏から秋頃に準備がかかるにも関わらず、合否の基準が解りにくい点にあるます。

特に、総合選抜入試について考えれば、本当に進学したい大学があれば受験勉強を頑張っているはずです。しかし、夏頃から総合選抜入試を受ける場合は書類や面接対策、小論文対策などに時間が割かれます。そうすると、一般選抜入試で受験勉強を続けていた受験生にとって合否基準が不明瞭な総合選抜入試に時間を割くことができるでしょうか?そのため、志望校に合格する見込みが確実な受験生や一般選抜入試では合格の望みが薄い受験生の方が受けやすくなります。そもそも、本当に進学したい大学があるなら客観的な試験に時間を割くでしょう。

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大学には色々な人間がいる方が良い、受験勉強だけしてきた学生は画一的な物事しか見ることができない。これからは多様な人間と触れ合うことが大事…と色々な建前を言っていますが「2024(令和6)年度外国人留学生在籍状況調査結果 4月」によれば日本の教育機関に在籍する国別の留学生は中国(36.7%)、ネパール(19.2%)、ベトナム(12.0%)で上位3カ国で約67%を占めています。そして、アジアは92.5%の構成比となっていることからアジアからの受け入れが極端に多いことがわかります。例えば、大阪大学で留学生の受け入れは2719名でありアジアで2250名と大半を占めている。その中で中国が1468名と大半を占めているのが現状である。

では、留学生の受け入れに関しては多様性が乏しいにも関わらず、日本の受験生だけに多様な価値観を求めてくるのでしょうか?

1つの理由として想定される推薦枠を増やしたい理由は恣意的に合格者を出せる点ではないでしょうか?例えば、国際的な学術関連で目立った成績を上げた高校生をとりたいという肯定的な動機もあると思います。本音で言えば、それを含めて嫌なこと(入試対策)もすべきだとは思い、一芸に秀でるだけでは社会では通用しない場合が多いように感じる。ただ、進学して欲しい生徒を獲るという意味では意味があるかもしれません。一方で、推薦枠を増やすことで入学生の確保や一般枠を狭めることで見せかけの偏差値を上げようとする大学もあるのは確かです。少子化の影響で学生数の確保を容易にするため推薦枠が増やされたと感じます。そのため、一般選抜だけでは進学をあきらめていた学力層も進学することができるようになったため少子化にも関わらず学生確保ができたと言えます。ただ、進学率の上昇はこれ以上見込めない中で、学生数を確保するために総合選抜入試などの推薦枠を増やしていきたいと考えてもおかしくありません。

受験勉強を必死に取り組んでいる受験生にとって推薦枠の拡大を望んでいる人は少ないでしょう。そのため、推薦枠を増やせば志望先として避けられる可能性があります。例えば、関西学院大学が良い例かもしれません。かつては、推薦枠を拡大しすぎて他大学と比べて突出してしまいました。そのため、現在は一般枠の拡大に方向転換をしていますが、イメージ回復ができておらず入試難易度が下がった形になります。一方で、立命館大学は一般入試の枠が多いとアピールしています。

結果として、推薦枠を減らした方が難関私大では大学の価値を上げることができる可能性があります。

実際に、推薦入試の入学制の方が成績が良いと大学が言っていても、そもそも大学の成績は必ずしも客観性がないため単純比較にむかない。そして、単純に一般選抜で進学してきた生徒の知的好奇心を促すことができないことが問題に感じます。たとえ、ある分野にだけ突出している能力があっても、それだけでは意味がありません。例えば、日本史に興味があっても古文、漢文、英語(*幕末に文化財が海外に流出しているため)、地質学など得意としない分野も必ず必要になってきます。結果、何かの目標に対して時間を割いて苦手なことも克服していく人材の方が成功するのではないでしょうか?

総合選抜型入試の増加で対策が進み、お金を出せば体験できる経験をアピールする受験生が増えてきたら、意味があるのでしょうか?

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