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【大学受験対策】日本史・日本史探究~中国の歴史書と古墳時代~

日本史・日本史探究

はじめに

大学受験用の日本史・日本史探求を解説していきます。日本史は暗記科目ではなく、時代と関連させながら学習することで理解度を深めることができます。そのためには、やはり覚えるべき内容は覚える必要がありますが、「誰が」「いつ」「どこで」「なぜ」など関連付けながら覚えれば効果的に学習ができます。1つ1つ説明していきますので何度も復習して覚えてください。

日本史・日本史探究一覧

■ 『漢書』

まず、日本には文字が伝わっていないので文字の史料はありませんが、中国の歴史書の中に日本の記載がされています。そこから、どの歴史書にどのようなことが書かれているか整理して覚えてください。まずは、最初の3冊は国内の争いを優位にするために中国に朝貢していたことがわかります。朝貢とは皇帝に対して周辺諸国(君主)が貢物を献上することで皇帝側は恩恵として返礼品を持たせて帰国させる外交秩序のことであり、当時は中国をトップとして周辺諸国が立場が下に置かれたことになります。

まず、『漢書』の内容は紀元前1世紀頃の日本は100国余りに分かれて小国が分立していたことが記されています。日本から楽浪郡に定期的に朝貢を送る小国もあったことが記されています。楽浪郡は前漢が朝鮮半島に設置した出先機関になります。ただ、内容はその程度のことしか書かれていません。

■ 『後漢書』

『後漢書』は大きく2段階に分かれます。1世紀の内容と2世紀の内容になります。まず、主に1世紀の内容ですが、建武中元二年(=57年)に倭の奴国が後漢の都(=洛陽)に朝貢し、そのため中国皇帝の光武帝漢委奴国王が刻まれた印を印綬している。この金印は福岡県志賀島で江戸時代の農民が発見している。まず、この辺りから年号が出ていますが、年号は暗記しても意味がないと思っている人もいますが、年号が解れば問題が解くのが楽になります。そのため、ゴロを使用して覚えていきましょう。金印は「いーな金印」で57年で覚えてください。

さらに、倭国の帥升生口160人を献上(安帝の初年=107年)を送っていることが記されています。生口とは奴隷のことであり、皇帝が亡くなった場合に生き埋めにされる存在でもあります。ただ、この内容は難関大学向けになります。その後、2世紀後半には小国どうしで大きな戦乱が起こることが書かれていますが、国内は統一されていないことがわかれば十分です。

■ 『魏志』

239年邪馬台国が30余国の連合国家の盟主となり、卑弥呼が魏に使者を送っています。まず、239年は「ふみここに届く」で覚えてください。それで、日本史の中でも非常に有名な女性ですが、邪馬台国の女王であった卑弥呼は周辺諸国をまとめることに成功します。史料には鬼道と書かれている様に司祭者的な存在として統治者になっています。この邪馬台国に関しては九州説と畿内説の2つがあり、まだ決着はついていません。また、卑弥呼の墓ではないと言われている箸墓古墳は奈良にありますが、これも可能性の段階です。

『魏志』の内容は、朝鮮半島にあった出先機関の帯方郡に朝貢をしており、朝貢場所が変わっている点に注意はしてください。そして、大夫の難升米を派遣して「親魏倭王」の称号と銅鏡を送られていることが記されています。このことから魏との朝貢は成功したのですが、卑弥呼が亡くなった後は男の王が君臨するが再び戦乱になったため卑弥呼の宗女であった壱与が女王になったと記されています。宗女とは一族の女性のことを指します。また、女王が存在しているのだから身分制度があったのがわかりますが、この頃には徴税のシステムがあるなど国の形ができ始めていることがわかります。

ただ、中国の史料から日本の立ち位置がわかります。日本には文字がないため言葉で外交しますが、それに当て字をつけたのは中国になります。そのため、「卑」「奴」「邪」など良い意味で使われていない漢字が使われています。それほど立場に差があったと言えるでしょう。

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■ 古墳時代前期

古墳時代は前期・中期・後期に分かれますが、それぞれの特徴が混ざるので正確に覚えるようにしてください。まず、前期の特徴は古墳の形態は前方後円墳であり鍵穴の丸の所に遺体を埋めます(竪穴式石室)。まだ、大規模化はしていませんが、1人の人間を埋葬するのにあれほどの墓をつくるため権力者が存在していた証拠になります。また墓からは銅鏡(三角縁神獣鏡)などが発掘されており、司祭者的な性格が強いことがわかります。集団をまとめる役割として呪いなど目に見えないもの(わからない存在)を利用していたことがわかります。また、現代の古墳は植物が茂っていますが当初は土で盛られた墓でした。そして、区切りとして円筒埴輪がおかれています。代表的な古墳として奈良県桜井市の箸墓古墳も覚えておきましょう。先程述べた様に、卑弥呼の墓の可能性がある古墳になります。

■ 古墳時代中期

古墳時代中期は前方後円墳が巨大化しているのが特徴です。内部も竪穴式石室のため前期と特徴は似ています。ただ、埋葬品が武具・馬具などが見られる点から埋葬されている人物は軍事的な性格が強くなっていることがわかります。当初は呪い的なもので人をまとめていたのかもしれませんが、次第に戦いによって領土を広げていったことがわかります。そのため、その性格の違いをしっかりと把握しておきましょう。また、古墳の周りに置かれた埴輪も変わり形象埴輪 と呼ばれる、馬や人などの姿をした埴輪が現れます。これも中期の特徴になります。代表的な古墳としては大阪の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)になり、世界最大の大きさをした墓になります。

■ 古墳時代後期

後期に入ると古墳の内容が変わります。これまでは権力者だけがつくっていた古墳が地方の有力者などもつくるようになります。ただ、これまでより勢力は強くないこともり円墳のように規模が縮小され、一箇所に古墳が集まっている群集墳が形成されます。この古墳の規模は一気に縮小しており、横穴式石室になっており羨道と玄室(遺体の安置場所)で構成された古墳は追葬が可能となっています。実際、石舞台古墳などは大きさがそれほどないこと規模の縮小があったことがわかります。副葬品も土師器・須恵器に代わり日用品が多くなったことで有力な農民層もつくっていることがわかります。ただ、代表的な古墳である石舞台古墳が蘇我馬子の墓と言われている様に、既に仏教が伝来しており有力者は寺院を建て始めたのもあるかもしれません。

古墳時代の流れですが、3世紀後半から瀬戸内海や近畿で大型古墳(古墳時代前期)が出来始めていることから近畿にヤマト政権が成立していると考えられます(*首長は大王)。そして、ヤマト政権の影響で各地に古墳がつくられていきますが、後期には組織が出来たことで有力農民が現れ小規模な古墳群(群集墳)をつくったことがわかります。

■ 出題される古墳

〇古墳時代中期

  • 大仙陵古墳仁徳天皇陵)…堺市の百舌鳥古墳群の中心
  • 誉田御廟山古墳応神天皇陵)…羽曳野市の古市古墳群の中心
  • 五色塚古墳(兵庫)…兵庫県の最大古墳(*明石海峡の近く)
  • 造山古墳(岡山)…全国4位の大きさ

まずは、赤色の古墳を覚えてください。緑色は難関私大などで出題される内容になります

〇古墳時代後期

  • キトラ古墳(奈良・飛鳥)…装飾古墳
  • 高松塚古墳(奈良・飛鳥)…「青龍」(東)、「白虎」(西)「玄武」(北)の四神女子群像
  • 石舞台古墳(奈良・飛鳥)…蘇我馬子の墓?
  • 藤ノ木古墳(奈良県・斑鳩)…法隆寺の横・横穴式石室
  • 竹原古墳(福岡)…装飾古墳
  • 岩戸山古墳(福岡)…筑紫国造磐井の墓と伝えられる

高松塚古墳は有名ですが四神が描かれており、朱雀(南)もあったのでしょうけど盗掘で存在がされていません。この辺りは地図を含めて確認して欲しいのですが、飛鳥と斑鳩の違いで出題した地図問題が出題されたこともあります。また、岩戸山古墳に関しては磐井が登場する際に説明をします。

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古墳時代の頃に日本ではヤマト政権のような勢力が誕生をして国内をまとめ始めています。そのため、日本が朝鮮半島に出兵したことが記されているのが高句麗好太王碑文になります。

当時の朝鮮半島は、朝鮮半島北部高句麗西部百済東部新羅が分立していた状態であり、南部伽耶(加羅)に大和政権は資源を求めて進出していました。そのため、辛卯の年(391年)に高句麗が南下してきたことで日本は資源の確保のため出兵したことが記されています。391年は「さあこい」で覚えましょう。

ただし、高句麗好太王碑文(広開土王)は戦時中に中国吉林省で発見されており、日本の大陸侵略を正当化するために改ざんされたのではないかと言われています。ただ、今でも出題はされているのでしっかりと覚えておきましょう。

余談ですが、高校日本史を学習していると百済(くだら)で新羅(しらぎ)になるのですが、高校に入りたての生徒は百済(ペクチェ)、新羅(シルラ)だと言う生徒が多くて驚いたことがあります。「くだら」は和訓読みであり、「ペクチェ」は韓国語発音になります。ただ、なぜここだけ変えてくるのか今でも理由は知りません。それならルイ13世も「ルイ・トレーズ」と呼ばないといけないのではないでしょか?

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『宋書』は日本が朝鮮半島の勢力争いを行っていることがわかります。そのため、日本の勢力が拡大していることがわかります。この書物では日本の王が相次いで朝貢している様子が記されています。その王を倭の五王と言い、「讃・珍・済・興・武」の5人になります。特に重要なのは武であり、これは雄略天皇に該当します。当時は、獲加多支鹵大王という名前でした。そして、兄の興が安康天皇であることは難関大学受験者は覚えておきましょう。

この中には武(雄略天皇)の上表文があり、自ら甲冑を着て東は毛人、西は衆夷を征服したとされいます。その結果、宋から安東大将軍が授かっています。これは朝鮮半島を巡り優位に立つことを意味しています。また、武(雄略天皇)は獲加多支鹵大王でもありますが、この名前が江田船山古墳出土の鉄刀銘(熊本)・稲荷山古墳出土鉄剣銘(埼玉)に刻まれています。そのため、当時のヤマト政権の支配地域がわかります。これらは国内で漢字を使用した例の1つでもあるの覚えておきましょう。

ちなみに、平清盛が貿易をした宋と今回の宋は違う国なので間違えないようにしましょう。

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