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【大学受験対策】日本史・日本史探究~古代国家②推古天皇から皇極天皇~

【大学受験対策】日本史・日本史探究

はじめに

大学受験用の日本史・日本史探求を解説していきます。日本史は暗記科目ではなく、時代と関連させながら学習することで理解度を深めることができます。そのためには、やはり覚えるべき内容は覚える必要がありますが、「誰が」「いつ」「どこで」「なぜ」など関連付けながら覚えれば効果的に学習ができます。1つ1つ説明していきますので何度も復習して覚えてください。

日本史・日本史探究一覧

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■ 推古天皇

崇峻天皇が暗殺されると女性天皇である推古天皇が誕生をします。女性天皇や子どもの天皇は成人男性の天皇がいない場合や政争になるさいの緩衝材的に即位ことがあります。そのため、聖徳太子が摂政として蘇我馬子と共に補佐したとされています。ただ、聖徳太子が存在したかどうかが議論されるように蘇我馬子が権力を握っていた可能性は否定できません。その中で603年冠位十二階を設置して世襲を否定して個人の功績に評価を与えています。それは徳・仁・礼・信・義・智を大小に12個に分けていますが蘇我氏が対象外の点からも絶大な力があったことがわかります。603年は「ろくをさずける冠位十二階」で覚えましょう。

翌年の604年には憲法十七条(十七条憲法)を制定して官吏の心得や仏教の崇拝することが書かれています。「一に曰く、和を以て尊しとなし…」で始まる有名な史料になります。この史料の中で「篤く三宝を敬へ」とありますが、三宝とは仏・法・僧を指しています。

次に607年遣隋使を隋に派遣しています。派遣された小野妹子対等外交を求めたことで隋の皇帝であった煬帝を激怒させます。ただ、当時の隋は高句麗遠征の失敗や大運河の造営で勢力は低下しており日本の使者を無視することはできませんでした。そのため、返答使として裴世清を送り、高向玄理・南淵請安・旻の3人を留学生として受け入れています。そして、隋は618年に滅亡することになります。

最後に、この時代に『天皇記』・『国記』編纂が編纂されたことも重要です。天皇の事績や国家成立過程を蘇我馬子と共同でるくりましたが大化改新時に喪失しています。ただ、天武天皇の時代の『帝紀』『旧辞』と混ざるので注意をしてください。

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■ 舒明天皇

舒明天皇は630年に遣唐使として犬上御田鍬を派遣しています。遣唐使は4つの船と呼ばれていましたが最初は北路で唐に向かいましたが新羅との関係が悪化すると南路・南島路に変更することになります。そのため、かなり渡航が危険となりました。

遣唐使として派遣された人物で重要人物だけピックアップしましょう。まず、阿倍仲麻呂(717年~)ですが玄宗に仕え李白とも交流しましたが、皇帝に気に入られ日本に帰れなくなった人物でもあります。玄宗は唐の全盛期を築きますが晩年は楊貴妃を溺愛したことで国力を衰退させ長安を一時占領されてしまった人物でもあります。次に、天台宗を開いた最澄や真言宗の空海も派遣されていることを知っておきましょう(*天台宗や真言宗は中国から持ち帰っている)、また、実質的に最後の遣唐使として円仁が派遣されています。円仁は天台宗を密教化した人物でもあり、『入唐求法巡礼行記』を著した人物でもあります。おまけでは、小野篁は遣唐使に派遣が決まるも船を交換されたことから仮病を使い辞退した人物で、それほど渡海が危険なことがわかります。この人物は昔、代々木の模試になぜか毎回出題されていたのが記憶されていますが、難関大学で低頻度で出題される程度です。そして、894年遣唐使の廃止を宇多天皇に建議したのが菅原道真であります。彼に関しては平安時代に登場します。

■ 皇極天皇

蘇我馬子が亡くなった後も、蘇我蝦夷・蘇我入鹿の親子による専制政治は続いており、聖徳太子の皇子であった山背大兄王も滅ぼされてしまう。この様な状況に不満を高めていた中大兄皇子中臣鎌足らによって蘇我入鹿は暗殺され、蝦夷も自害に追い込まれます。このことを乙巳の変と言い、これ以降の新たな天皇が即位して一連の政治改革を行ったことを大化改新といいます。

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