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中学校や高校での内申点(評定)の客観性は信用できるのか?

内申点の問題を考える

はじめに

内申点や評定平均は高校入試や大学入試で使用されることが多い。その一方で、テストの点数だけなら客観性があるかもしれないが、それ以外のことが加味される内申点や評定平均は本当に客観性があるかを考えたい。

教科担当は基本的に客観的な判断材料により成績をつけていることが多い。例えば、テストの点数が70%で平常点が30%であり、平常点の内訳は〇〇%、〇〇%と決めている。しかし、多くの教科担当が生徒や保護者に対して平常点の内訳を事前に説明していない点を考えれば、本当に客観的に評価できているかは疑わしい。そもそも、欠席1回で減点は〇〇点など授業日数が一律でもないのに、そんな面倒なことをするのだろうか?また、授業に出席していても騒いでいるだけで出席点を与えるかどうかの基準は?など疑問が残る。ただ、間違ってはいけのいのは基本的に教員は客観的な事実に基づいて評価しようとしている。ただし、テストの点数とは違って平常点を誰もが同じ評価するかと言えば、できないだろう。そのため、それを入試で点数化していることが不満がある要因かもしれない。

また、特定の生徒を贔屓しているのではないかと言う意見に対して「教員は好き嫌いではなく公平に点数を判断している」と言うかもしれないが間違いではないだろうか?なぜなら、教科担当は教えている教科は理解していると思われがちだが、実際に自教科であっても共通テストで半分も採れない教員もいる。そのため、平常点は公平につけていると考えている場合は危うく、公平性がない可能性が高いと考える教員の方が客観的な判断材料をしっかりと考えるので安心はできる。

もちろん、教員は客観的に判断つける理由はトラブルを避けるためでもある。たとえば、生徒は成績を見ても平常点が何点とは計算をしない場合が多いが、もし仮に平常点に違和感を持った生徒がいた場合にしっかりと説明できるかが大事になります。なぜなら、保護者からの抗議があった場合に成績のつけ方を確認される可能性があるからです。そのため、わざわざ「先生にとっての良い生徒」になる必要はありません。ただ、それでも疑問に感じる場合があるかもしれませんが…。

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客観的に成績をつけるためには、「どの教員であっても同じ成績になる」ことが目指されます。そのため、わかりやすいのでは課題の提出や小テストなどかもしれません。しかも、成績のつけ方が変わった影響で作業のような課題が増えています。時には平常点をつけるためだけでの課題ではないかと疑う場合もあります。

そもそも、生徒一人一人の状況で成績をつけた場合には主観的になります。もちろん、主観的な判断で生徒を評価することは本当の自分を考えるのに役立つでしょう。ただ、これが入試に絡んでくると話は別になります。入試である以上は客観的な根拠で合否を判断して欲しいものです。

しかし、そもそも成績が不振の生徒・授業妨害する生徒・欠席が多い生徒が進級や卒業している点を考えれば最初から客観性がないと言えるでしょう。いわゆる下駄を履かせる行為は昔から行われていました。

平常点は必ず客観的な判断に基づいて点数化されていると信じるのは無理があるかもしれません。ただ、その誤差はあくまで僅かな点数しかないでしょう。ただ、どちらにせよ平常点の内訳は最初にしっかりと説明しておくべきでしょう。

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