
大学受験に必要な知識を学習するために作成したページです。そのため、問いの背景をしっかりと理解していくことで日本史を得意になってもらうための内容です。日本史が苦手な受験生でも、受験用に確認したい受験生も参考にしていただければと思います。あくまで、論述対策というより知識を増やすための内容になっています。
(1)1874年に明治六年の政変で政界を去った板垣退助は( )を設立して、民選議員設立の建白書を太政官左院に提出しており、江藤新平は旧里に戻って佐賀の乱をおこした。この年に内務省は警視庁を東京に設置した。
(2)1875年に自由民権運動の激化により、政府は対策として大阪会議が開催された。この会議の出席者は大久保利通・板垣退助・木戸孝允であり、この会議の結果で漸次立憲政体樹立の詔が出され①( )の設置(*立法諮問機関)②大審院の設置(*司法機関)③( )の設置(*府知事・県令の会議)の設置が決まった
(3) 板垣退助は故郷の土佐で( )を結成して自由民権運動の機運を高めた。そして、大阪で愛国社を結成して民撰議員の設立を要求した
(4) ( )では、開拓使長官黒田清隆が政商五代友厚に払下げをしたことが問題化した。このため政府は国会開設の勅諭を発したが、早期開設を望む大隈重信を罷免した(明治十四年の政変)
(5)大蔵卿の松方正義が松方デフレを実施していく中で、紙幣整理を行い( )以外の予算を徹底的に削減する緊縮財政を行った。また、唯一の発券銀行として日本銀行を設立した(銀本位制)。松方デフレにより米価の下落により寄生地主制を発展させた
(6)大同団結運動(*星亨)は井上馨の条約改正に失敗を機に三大事件建白運動が展開され、地租軽減・言論集会の自由・外交失策の挽回をスローガンに大規模な行動に出たため、政府は( )により尾崎行雄・中江兆民らは東京から追放された。
(7)伊藤博文は憲法制定のために( )(*ベルリン大)や( )(*ウィーン大)からプロイセン流憲法を学び、制度取調局を立ち上げ、ロエスレルの助言の下で憲法を作成する中で太政官制を廃止し、内閣制度を発足させた(初代文部大臣は森有礼)
(8)松方正義内閣①の際に第2回総選挙で内相( )が行った選挙干渉が問題化して第3帝国議会で責任が追及された
(9)1984年に宗教秘密結社の( )が反乱を起こした(甲午農民戦争)が起こると、朝鮮からの要請に従って清は派兵を決めたが、天津条約の取り決めに従い日本に事前通知したために日本も派兵を決め日清戦争に発展することになった
(10)(第2次)山県有朋内閣は政党の官僚への進出を危惧して文官任用令を出した。そして、1900年に軍部大臣現役武官制を制定して陸・海軍大臣は現役の大将・中将に限った。また、( )を制定して労働・社会運動を弾圧した一方で衆議院議員選挙法を改正して直接国税10円以上に引き下げた(選挙人口2.2%)
(11) (第1次)桂太郎内閣は1904年に始まった日露戦争の講和条約はアメリカ大統領の仲介(*セオドア=ルーズベルト)によりポーツマス条約が締結された(全権…( ))その際に南樺太の獲得や旅順・大連の租借権、長州以南の鉄道と付属利権を獲得が賠償金がなかったため、条約破棄を求めて日比谷焼き打ち事件に発展した
(12)1910年に社会主義者を弾圧するために( )らを死刑にした大逆事件がおきたため社会主義者にとって「冬の時代」へ突入させた。一方で、1911年に最初の労働者保護法である工場法が公布されたが少人数の工場には適応しないうえ、不景気のため実施には1916年まで時間がかかった。
(13) (第3次)桂太郎内閣が組閣すると「憲政擁護」「閥族打破」がスローガンとした第一次護憲運動が展開される。中心となったのは立憲政友会の( )・立憲国民党の( )が中心であり、内閣を50余日で辞職させた(大正政変)
(14)寺内正毅内閣はロシアでレーニンが社会主義国家建設のために革命をおこすと(ロシア革命・1917年)列強は1918年に( )兵を実施して社会主義思想の拡大を防ごうとした *1917年に金本位制の停止をしている
(15)立憲政友会から原敬が組閣すると最初の本格的政党内閣が成立をして平民宰相と呼ばれた。大学令・高等学校令(1918年)を施行することで知識人層が増大に貢献したが、庶民が期待した普通選挙は直接国税を( )円に引き下げるに留まった
東進ハイスクール・東進衛星予備校(1)愛国公党
(2)元老院/地方官会議
(3)立志社
(4)(北海道)開拓使官有物払下げ事件
(5)軍事費
(6)保安条例
(7)グナイスト/シュタイン
(8)品川弥二郎
(9)東学党
(10)治安警察法
(11)小村寿太郎
(12)幸徳秋水
(13)尾崎行雄/犬養毅
(14)シベリア出
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