
はじめに
中学生や高校生のなかには評定(内申)の点数に不満がある場合があります。評定が高校進学や大学進学(指定校推薦など)に影響があるにも関わらず、本当に客観的に成績は出されているのかを考えてみましょう。
評定に客観性は幻想
そもそも、成績自体に完全な客観性を出すことは不可能です。最も客観性があるのはテストのみで成績をつける場合ですが、それですら完全な客観性はありません。
なぜなら、欠試の場合は見込み点を採用しているからです。例えば、インフルエンザによる出停や部活動の公式戦での公欠ではテストを受けなくても0点になりません。過去の点数などから見込み点をつけられることになりますが、その見込み点が必ずしも客観性があると思いません。さらに、生徒によっては学年末試験などノー勉で受けるより見込み点狙いの方が点数高いなど矛盾がでます。このように、テストのみでも完全な客観性がないから平常点も入れば正確な判断は無理と言える。
平常点は不正ができる
教員はわざわざ特定の生徒を陥れるために平常点を故意に下げたり、お気に入りの生徒を上げたりしません。もちろん、こういったことをする教員がいるのは否定できません。ただ、平常点ほど客観的な判断ができないものはない。
確かに、「ノートを出した」、「出席した」、などの数値で客観的に評価するなら可能でしょう。ただ、「ノートの内容」や「授業態度」まで含めると、どんどん主観的になります。そうすると、必ず根拠のない差が生まれます。例えば以下の例で考えましょう。
(生徒A) 授業開始から5分間眠っていた
(生徒B) 授業の途中から10分眠っていた
(生徒C) 最後の20分眠っていた
(生徒D) 授業中に私語を何度か注意された
授業に集中して取り組んでいない点では平常点が減点されるのはわかりますが、誰がどれだけ減点されるか決めることは難しい。5分眠っていた生徒と20分眠っていた生徒が同じ平常点ではおかしい。また、真面目に授業を受けた生徒と5分眠っていた生徒も同じ平常点ではおかしい。そうすると、一体どのように平常点をつけているのか不明に感じます。
結局の所、平常点の大枠は決まっていても細部は教員間や同じ教員によっても日によって違うでしょう。それが数点の差にしかならないとしても5段階評価では1点、2点で評価が変わることがあります。むしろ、100点法で成績を送った方がより正確に判定できるのでしょうが、結局はその1点は何なのか根拠を示せない場合があります。
また、よく数学でおきるが定期試験の平均点が40程度しかないにも関わらず成績では平均が60点程度に収まっていることがあります。一体、テストの点数と平常点がどれくらいの割合か疑問に残ることがあります。これは、テストの平均が低すぎる時にテストの点数で調整するのではなく(*それでも点数が採れないから)、平常点の割合を変えて調整していると言えます。そのため、学校によっては成績表で1、2学期までテストの点数が100点法で書かれていたものが、3学期は成績の欄しかない場合があります。それは明らかに成績を操作するために仕組まれているとしか考えられません。
どちらにせよ、最初の授業時に成績の割合、平常点の配点(得点のつけ方)などを最初に提示していない限りはいくらでも意図的に操作できる余地があります。もちろん、体育であっても「なぜ、その点数がつくかを明確する」ことがないと客観性は出ません。一体、記録を測るもの以外で何をすれば点数は上がるのか?団体競技の場合はメンバーによって得点は差が生まれるのか?準備運動で減点されるのは何?など疑問ばかりです。
結果として、成績に平常点が入る以上は公平性は期待できない。
平常点を下げないことが大事
基本的には平常点は提出物をしっかりと期限内に出す、感想文など書かなくてはいけない内容はしっかりと量を書く、小テストの点数を採る、居眠りや私語などしない等をしなければそれほど変な点数はつかないと思います。そのため、過剰に教員に気に入られようとする必要はありませんが明らかに得点に納得がいかなければ理由をしっかりと説明してもらいましょう。
ただ、入試を左右するほど内申点が重要になるのは好みませんが…。