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【大学受験対策】日本史・日本史探究~弥生時代~

日本史・日本史探究

はじめに

大学受験用の日本史・日本史探求を解説していきます。日本史は暗記科目ではなく、時代と関連させながら学習することで理解度を深めることができます。そのためには、やはり覚えるべき内容は覚える必要がありますが、「誰が」「いつ」「どこで」「なぜ」など関連付けながら覚えれば効果的に学習ができます。1つ1つ説明していきますので何度も復習して覚えてください。

日本史・日本史探究一覧

弥生時代は前期・中期・後期の時代区分が3つとなっており、縄文時代と混じるので注意をしましょう。また、この時代の代表的な遺跡には以下になります。

  • 吉野ケ里遺跡(佐賀)・・・集落の周囲を堀で囲んだ環濠集落の代表的な遺跡
  • 紫雲出山遺跡(香川)・・・山頂付近に集落があり防衛機能を持った高地性集落の代表的な遺跡

弥生時代は農耕が定着したこともあり、食料生産が向上をします。ただ、保存できるコメの生産が始まると農耕をしなくても(または不作の場合)他の集落から奪った方が早いと考える人間も増えるでしょう。その結果、集落は外敵に襲われることになります。そのため、防衛機能を持った集落をつくる必要があり、環濠集落や高地性集落が各地にできていきます。

  • 唐古・鍵遺跡(奈良)・登呂遺跡(静岡)・・・大量の農具が発掘
  • 荒神谷遺跡(島根)・・・平形銅剣が358本発掘

それ以外の代表的な古墳として唐古・鍵遺跡(奈良)・登呂遺跡(静岡県)では大量の農具が発掘されたことで有名です。一方で、山陰地方の荒神谷遺跡(島根)では平形銅剣が発掘されたことで有名です。ただ注意して欲しいのは数は少ないけれど銅鐸なども出ているため、過去に問題文に銅鐸も書かれていたから正解とは違う答えを選んだ受験生もいます。また、難関大学向けには以下の遺跡も覚えておきましょう。

  • 垂柳遺跡・砂沢遺跡(青森)…農具が発見された遺跡
  • 池上・曽根遺跡(大阪)…環濠集落
  • 纒向遺跡(まきむく)(奈良)…箸墓古墳なども含めた遺跡群へ
  • 加茂岩倉遺跡(島根)銅鐸が多数発掘された遺跡(銅剣もあり)
  • 楯築遺跡(岡山)…大型墳丘墓
  • 須玖岡本遺跡(福岡)…弥生時代中期の遺跡
  • 妻木晩田遺跡(鳥取)…山陰地方最大級の集落/四隅突出型墳墓が出土

難関大学では、この付近の時代が出題された場合に資料集には掲載されているが細かい遺跡を答える必要があるので覚えていきましょう。ただし、選択肢が多いのでそれぞれの特徴と都道府県をしっかりと結び付けましょう。

感覚的には加茂岩倉遺跡(島根)が一番出題されやすいように感じます。同じ島根県に荒神谷遺跡があるため混同しやすいのかもしれません。また、四隅突出型墳墓などは難易度が高めの用語ではありますが不意に出題されているので注意が必要です。どちらにせよ、出題頻度は最初の5つの遺跡の方が多いので、最初はそちらを覚えるようにしましょう。

ムームードメイン

「青銅器と鉄はどちらの方が早く日本に伝来した?」という質問をした場合に多くの生徒が間違えます。世界史的には青銅器から鉄という流れですが日本では青銅器と鉄は同時期に伝来した金属器になります。もちろん、鉄の方が頑丈であるため実用品として使用される一方で青銅器は祭器として用いられるようになります。この祭器は地域ごとの特色があり、九州北部は銅矛・銅戈近畿は銅鐸が分布、瀬戸内海中部は平形銅剣という特徴があります。また、銅鐸の表面には当時の生活の様子が描かれていることもあり貴重な史料にもなっています。

また、弥生土器は薄手で赤褐色(*東京の本郷弥生町で発掘)であり、用途が壷(貯蔵用)・甕(煮炊き用)・甑(蒸し器)・高坏盛り付け用)などの使用方法になりますが、高坏だけはイメージしづらいので覚えておきましょう。

弥生時代には農耕が本格化したのですが、当初は湿田で栽培を行っていました。よく勘違いするのは水田のイメージがあるため湿田は後半のように思えますが、水田は灌漑によって水がない場所に水を引いて出来ています。そのため、湿田は元から水がある場所で籾の直播きで栽培をします。その後、後期には乾田により生産性が上がります。収穫方法も当初は磨製石器である石包丁穂首刈りをしていましたが、田植えにより収穫時は鉄鎌を使用して根刈りとなったことで現代でも馴染みがある状態になります。また、農耕が定着したことで木鍬・木鋤(後期には鉄製刃先をつける)・大足(肥料を踏み込む)・田下駄(足が田にめり込まない様にする)・木臼・竪杵(脱穀)などの農具やネズミ返しがある高床倉庫(貯蔵庫)を使用するなど特徴です。ただ、この辺りの農具に関しては大足ぐらいが馴染みがありませんが、それ以外は何となく想像ができると思います。

一方で、北海道や沖縄には農耕文化は定着しませんでした。北海道続縄文文化と呼ばれて寒冷のために稲を育てることが困難であり、沖縄貝塚文化と呼ばれ温暖であるためにコメ以外の食料を確保できたために定着はしませんでした。

■ 弥生時代の社会変化

縄文時代から変わらず竪穴住居で生活しますが、コメの保管先として高床倉庫がつくられます。ただ、食料の保管が可能になると外敵が狙ってくるようになります。そのため、防衛機能を持った高地性集落(山頂付近の集落)や環濠集落(周囲を濠で囲む)が形成されますが、誰かと戦うためには指導者が不可欠になってきます。結果として、弥生時代から貧富の差が生まれます。

それを示すように、お墓の種類が変化しており、甕棺墓(九州北部を中心)→支石墓朝鮮半島・九州北部が中心)→方形周溝墓(弥生時代後期~古墳時代)→墳丘墓(中期~後期に西日本で中心)ができます。これは時代順に覚えておきましょう。埋葬法は伸展葬に変わりますが、甕棺墓の中には頭蓋骨のない骨や傷ついた骨などが発掘されたことで戦いがおきていたことがわかります。墳丘墓が出てきたことからわかるように、弥生時代と古墳時には明確な区切りはありません。

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